そちらに譲るとして、
第2作目以降の苦労を「ミステリーズ!」から
拾っていこうと思います。
作家を目指す人の前でほとんどの作家が言うことは、「デビューするより生き残ることのほうが難しい」であり、そしてそれは事実だ。けれど、わたしは今、十二年作家として生き残ったことに特別な感慨はない。なぜなら、わたしは小説を書く上でのスタンスは、十二年前と何も変わっておらず、結局のところこの十二年間、わたしはずーっと舞い上がったままで、うきうきと小説を書き続けて来ただけなのだ。(中略)今でもわたしは、自分の本が書店に並ぶたびに、あの頃の高揚感と少しの恥ずかしさとをもって、表紙をそっと撫でている。
(中略)
さて、横溝正史賞という華やかな賞を幸運にもいただいて、とりあえずはデビューは幸せに果たしたわたしだが、何しろ、苦節ン年新人賞をめざして研鑽を積んでいた。というわけではまったくなく、初めて書いた長編推理小説で受賞してしまったため、ストックと呼べるものが一切、なんにもなかった。しかしプロ作家になってしまった以上、とにかく次の本をださなくてはすべての命運がそこで尽きてしまう。手探りで書き始めた受賞第一作が、上述した『聖母(マドンナ)の深き淵 』であるのだが、そこにたどり着くまでの一年間に、まずは最初の挫折を体験したのである。実は受賞第一作として書き始めたのは、『聖なる黒夜』
のもとになったと言える作品だった。つまりこの時点ですでに、麻生龍太郎や山内錬など、あのシリーズの中軸となるキャラクターはわたしの頭の中に存在していた。と言うよりも、受賞作を書く前から彼らはすでに、わたしの中に住んでいた。
が、なにしろ、彼らは存在が大き過ぎ、重過ぎ、やんちゃ過ぎた。当時の私の筆力では彼らの暴走を制御することが出来ず、しかも「来年の横溝賞までに受賞第一作を出してください」という出版社からの要請に焦りまくったあげく、書き上げた作品はボロボロで、とてもプロの作品として世に出すことはできない惨憺たるものになってしまった。もしあの時、「これはまだわたしに無理だから、別のものを書こう」という決断がつかないままにずるずると引きずっていたら、たぶん、わたいはとっくに潰れてしまっていたと思う。
柴田よしきは、自分の欲望を抑え、一つの作品を封印し
別の作品にとりかかります。
こうして受賞してすぐ挫折したわたしは、それから今に至るまで、自分の筆力と書きたいものとを「まずは仲良くさせる」ことを続けている。今のところ、デビュー直後ほど大きな挫折は体験しなくて済んでいるのも、そうした「生きるすべ」をあの時に学んだおかげだと思っている。
「ミステリーズ!」vol.24(AUGUST2007)
ブログで読みやすくするために改行を入れています。
また中略は管理人によって行いました。
【柴田よしき プロフィール】
1959年東京都生まれ。青山学院大学卒業。
1995年『RIKO―女神(ヴィーナス)の永遠』