「みなさん、さようなら」 久保寺健彦
小学校卒業と同時に、度会悟は団地から出ないことを決めます。 団地の子どもたちは生まれた時から一緒で 小学校もその子たちだけが通っています。 だから友だちはたくさんいます。 悟は、大山倍達に憧れて空手のようなトレーニングをはじめ 団地内のコミュニティセンターの図書館で 勉強をし、本を読む生活。 そして同級生たちがきちんと帰宅しているかどうか 団地内のパトロールを欠かしません。 彼は15歳になると、団地内のケーキ屋に修行に入ります。 さすがに一人で、ケーキ屋を数十年切り盛りしてきたオヤジには 悟もかなわず、その腕と頭の使い方には学ぶことが多い。 一見、朝早くから規則正しい生活が送れる悟に なんの問題もないかに思えるのに 中盤、突然、彼のPTSDが明らかになり 物語に隠されていた歪みが見え始めます。 それまでの規則正しさと裏腹の危うさにゾッとさせられます。 悟はいつか団地から出られるようになるのか。 団地は2DKか3DKなので、 同級生たちは卒業すれば、どんどん自立していきます。 それに伴って悟の役割がなくなり、 同時に団地の老朽化と高齢化には歯止めがかかりません。 きな臭い事件がたびたび起こります。 この先細りの危うさにも悟は目をつぶります。 団地内にできた婚約者の早紀ともうまくいきません。 それでも悟は団地を出ることができません。 団地という象徴的な閉鎖社会と PTSDでそこから出られない症状をうまく使い 明るさと軽妙さを失わず、しかし暗部を描き出していきます。 このバランス感覚に支えられ、物語は疾走していきます。 それから、著者が悟に対して冷静なのがいいですね。 長年培ってきたトレーニングの結果を見せるチャンスで 彼を簡単にヒーローにしません。 怖くて怖くて仕方がない状況で、彼は自分で皮を脱いでいきます。 プロットも人物造形も新人離れしています。 閉ざされた人生もまた人生。 しかし未来に向かって開かれているのがいい。 |
『みなさん、さようなら』
久保寺健彦


