小説の新人賞を目指したのは有名です。
デビュー作の『蒼龍』は新人賞を目指す彼の姿と重なります。
その後の話を「小説新潮」2007年12月号
雑誌から抜粋します。
すべて手探りで書きあげた処女作を小説新潮長篇新人賞に送り、数ヶ月後、最終候補に残ったとの知らせを受けた。舞い上がった。すっかり自分が受賞するものと思い込んでいた。
が、結果はバツ。いくら考えても自分の落選が不可解でならず、立っているのもイヤになるほど打ちのめされた。
しかし選考経過を聞くにつれ熱くなった頭がスーッと冷えていくのが分った。わたしの作品は他と競りあうどころか早々に脱落していたのだ。ここに到って、やっとおのれがここにいる理由が分った。運が良かっただけ。ならば、実力でもう一度ここに来るしかない。
(中略)
一九九七年、幸いにもオール讀物新人賞を得ることができた。が、わたしにとって最も苦しい時代は、その後に待っていた。受賞第一作が雑誌掲載されるまでの二年間がそれである。
最初に「受賞作を超える作品を書かなければ世に出しません」と担当編集者に告げられ、一年のうちに書いた二十本ばかりの作品はすべてボツとなった。
(中略)
わたしは自らの心得違いを恥じた。それからは甘えを捨て、彼の気持ちに報いるよう、ひたすらに書き続けた。
翌年、担当編集者が替わり、ある時送った六十枚の原稿に「八十枚にしてほしい」との返答をもらった。大喜びで書き直して送ると、今度は百二十枚にしてほしいという。これも言うとおりにして送り、さあ、いよいよ掲載だと思っていると彼が言った。
「山本さんの書きたいことは十分分りました。では、削りましょう」
さらに四回の書き直しを経て、やっと「ゲラにします」とのメールを受けることができた。初めて届いたゲラが嬉しくて、なけなしのカネをはたいてパイロットの万年筆を買い、赤インクを吸わせた。「これからたくさんのゲラに赤字を入れられますように」との願いをこめて。
その願いはいま、充分すぎるほどに叶えられている。
編集者を凌駕する情熱をもって書かなければ読者にも振り向いてはもらえない。彼らはそれを教えてくれ、わたしは命がけで書くことで応えた。作家に不可欠な心得を授けてくれたふたりの恩師に、今では深く感謝している。
*ブログで読みやすくするために、改行を入れています。
【山本一力プロフィール】
1948年高知県生まれ。都立世田谷工業高等学校電子科卒業。
1997年『蒼龍』
2002年『あかね空』