「肝心の子供」 磯崎憲一郎
ブッダとその子供ラーフラ、 そのまた子供ティッサ・メッテイヤという 3代にわたる親子を描いているが 仏教や教祖を描いてはいない。 そこに現れるのは父親と子供。 ブッダの妃ヤショダラも大きな存在であるが うねりの一筋になっている。 また、この2組だけではなく 物語ではブッダとその父スッドーダナ王、 隣国のビンビサーラ王とその息子といった さまざまなパターンの父と子が登場する。 父親というものをさまざまに映し出してみせ 現代日本社会が直面している父親とその子育てには プリミティブな問題があるのに それから目をそらしていることに気づかされる。 いわゆる、男というのは自分の子供を授かるまで 子供に愛情を感じない生物であり 経験的な生き物であり 父親を乗り越えようとするものであり 己の勝手さには目を留めず、そこから派生した 哀れな子供の境遇に同情を覚えるものである。 が、物語はそこに着目しているわけではない。 素直な文体にもかかわらず 時間や人々の渦巻きを感じさせる。 壮大な物語なのに普遍的。 ブッダという題材から勝手に想像する大きさから離れ 父親と子供、その生き方という小さな点に移り が結局、大きなうねりを描いている。 作家としての力量が存分に発揮されている。 |
『肝心の子供』
磯崎憲一郎



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