『君のことを想う私の、私を愛する君。』 佐木隆臣
2114年、彩乃は小笠原霧恵となって蘇ります。2017年12月に死んだ彼女は、この時代の魂を移植する技術によって生まれ変わったのです。 霧恵は生後3か月の娘・梢を残して、30歳で亡くなったのですが、彩乃もまた生後2か月の娘を残して事故死した28歳です。 身体は霧恵ですが、心や魂は彩乃のままです。 このことは霧恵の夫・秀も承知の上で、魂の移植を行いましたが、移植後の夫婦間はぎくしゃくしています。 おもしろい設定と物語なのですが、ところどころ物語ありきで進行してしまい、白けてしまいました。 魂の移植ができるというのですが、どのように魂をとらえて、移植するのかは書かれていません。死んだ人のデータベースから彩乃を選んだとされるのですが、そのデータベースがどのくらいの規模であるのかさえも明らかではありません。現代でも日本にもハーフが当たり前にいるのですから、100年後はもっとたくさんいるでしょう。この小説には生粋の日本人だけが登場します。このことも考慮されていません。 乳児に大人の魂を移植した場合、その記憶や人格を乳児が受け止められず、攻撃してしまい、人格を破壊してしまうのですが、それがまっさらな状態(新生児)ということなのでしょうか。このあたりの記述がわかりにくい。大人の肉体に大人の魂を移植した場合には、その記憶や人格が残る――というのもご都合主義的だなーと思いました。 また魂の移植を行った霧恵(彩乃)に対して近所の目が冷たいということですが、この時代、3歳以下の子供の9割がかかるルドング病のために、ほぼみんな移植をしているという設定です。自分は子どもの頃、移植しているのに、大人の移植者は差別されるというのも解せない。移植の魂のために、ほかの子供を殺害する事件まで起きているのですから。ここも行き当たりばったりの設定になっていないでしょうか。 栽培技術と種のバイオ技術(?)で、野菜や果物の旬が失われ、一年中、どんな野菜も果物も食べられるようですが、ワインになるぶどうだけは収穫時期があり、繁忙期があるのも不自然です。 つつけば甘い設定とご都合主義的な展開なのですが、キレた彩乃の啖呵や、彩乃や霧恵が「自分が傷つかないために他者を暴言で追い詰める」血筋であることなどがおもしろい。一筋縄ではいかない女性たちが描かれ、彼女たちが時に暴走して、物語に躍動感を与えます。 また百年後のテクノロジーはひたすら「人口増加」のために開発されています。これを考えるのは楽しい作業だったでしょう。 著者はひたすら「人を愛するのは肉体か、魂か」に向き合い、真摯にこの小説を書いたと思われます。その部分は読ませます。彩乃の孤独感や、後から秀の苦しみに気づくのもいい話になっています。 しかしそのために見落としてしまった細部があるのが残念です。 |