「百年泥」 石井遊佳
交際している男に貸した金から多重債務者に陥った「私」は、元夫から斡旋されたインド・チェンナイでの日本語教師の口に乗ります。 赴任して三か月半後、百年に一度といわれる洪水によってアパートに閉じ込められます。ようやく水が引き、職場に向かうアダイヤール川にかかる橋にたどり着いてみれば、泥をかく人々がさまざまなものを引き当てていました。 7年間行方不明だった息子、居眠りばかりしていた親友、山崎十二年のボトル……。このボトルは「私」が元夫と別れるきっかけとなったスナックと関係しています。 泥の中から、さまざまなものが引き上げられ、そこから「私」の過去と現在、インドの現状が語られるという趣向です。 飛翔通勤、客の秘密を洗いざらいしゃべってしまうスナックのママ、成り行き上「マクド」をリピートさせることになる授業、と笑わせてくれるディテールを織り込み、退屈させません。 笑いだけではなく、印象深い話も多い。「私」と、美しいが無口な母親との日々。生徒のデーヴァラージらが描く将来の夢。大阪万博のコインが結ぶ不思議な縁。 「かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨。触れられなかった唇が、百年泥だ」 洪水というと、日本に住んでいれば思い出さざるを得ない出来事を共有していますが、著者はチェンナイ在住。そこではまた別の洪水が描かれます。ドロドロ汚く描かれるエピソードなのに、ロマンチックにも感じられる、不思議な泥の話でした。 |