「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子
老いをテーマにした新人賞受賞作というくくりでは、芥川賞候補にもなった第48回(2016年)新潮新人賞受賞作『縫わんばならん』には及ばないものの、これはこれで力強い老人文学といえるでしょう。 数年前に夫を亡くし、子どもたちとも疎遠になっている74歳の桃子さん。東京に出てきて50年間、忘れていた故郷の東北弁がよみがえり、東北弁を交えながら、孤独な日々とそれに伴う心境を語ります。 一日中一人で過ごす桃子さんは、見えない存在を感じるようになり、それと共存しています。他人から見れば「まだらぼけ」のような状態ですが、彼女の中にはジャスのようにさまざまな音と言葉が交錯しています。 妻、母として生きてきた桃子さんはある時、自分の人生は「見るだけの人生」「眺めるだけの人生」だと気づき、そこから立ち上がって歩き始めます。 「ほんとは子供より自分が大事だったのだ、と頭の中右から左にかすめ、それを隠して生きてきた長の年月、と左から右へ。」 というくだりからの後半は熱量が高まり、迫力のある文章が続きます。 夫や子どもに仕えるように生きてきても何の感謝もされず、何の生産性もなかったというのは、決して新しい価値観ではないのですが、桃子さんはそれを後悔はしていません。 「もう今までの自分では信用できない」 と自己否定するのですが、全体の文章はそんな過去の自分も含めて、これから歩いていくと宣言しています。 子どもの頃のこと、夫周造と結婚してからのことを思い出しながら、隣にある死さえも道づれに生きていく覚悟です。生きる気力を失くしたはずの夫の死さえも、実は「喜んでい」たと気づきます。 「愛や恋も欲しいけれど、一人で生きてみたい」 女の本音が出てきます。 ありきたりになりがちな小説が、桃子さんの解釈によって「桃子さんの人生」に収束していきます。 ただ残念なことに最後の一文がいただけない。あまりにも小説にのめりこみすぎて、小学生の孫に「桃子さんの感覚」をしゃべらせてしまいました。「熱量を伴う書く力」と同時に「自分の小説に対する距離」も大切です。 |
📖 「文藝」2017年11月号