「けちゃっぷ」 喜多ふあり
文章への挑戦を感じる作品です。 語り手の「私」はブログになんでも思ったことをそのまま書き記します。 ブログの文体は、一読すると話し言葉のようでいて 実際には書き言葉でもあります。読者は書き手が見えないのですから しぐさやアイコンタクトは通じず、状況は説明しなければなりません。 そのため、話し言葉と書き言葉を行き来します。 それを表出しつつ、実存の物語進行もすすめてしまう。 強引なのに、すんなりと読めてしまいます。 ただ途中で疲れました。饒舌さに圧倒されるというより もういいです、と辞退したい。 またブログとは、匿名性の高い日記や記事ですから 書き手はすべてを書くことはありません。 いいことしか書かないこともできれば、 隠しておきたいことは書かなければいいのです。 特に「秘密」にしている文章の流れを意図的に作らないこともできます。 あるいは嘘で固めることも可能です。 それを敢えて「すべて書く」ことによって 「ありのままの私」が見えてきます。 自己顕示欲が強く、特別なことが起こるかもしれない、 ドラマチックなことを期待した「私」はどこまでいっても 「ダメ」な女でしかないのに、それなりのドラマがあります。 数年、ニート小説は一貫して「なにもない自分」を描いてきましたが それがこの作品では「ありすぎること」を描きます。 何もなくても、実は現代は「ありすぎる」と示唆し物語を閉じています。 |
喜多ふあり

